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熊本の記憶

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    熊本での記憶。プライベートなものです。

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野菜セット生活をはじめる

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  わが家の食卓を宅配会社で頼むことにした。写真は先週届いた野菜セットだ。白菜、小松菜、ネギ、キャベツ、ベビーリーフ、ズッキーニ、サツマイモ。全て有機野菜だ。

 

 結婚して私の食生活は大きく変化した。週3回は食べていたつけ麺も食べなくなり、野菜が増えた。その理由は、もちろん妻が台所に君臨しているからだ。ノーミートは当たり前で、弁当もほぼ毎日作ってくれる。しかも、冷凍食品を一度も使っていないことに最近気づき、この世に女神がいることを知った。結婚前、「本当に料理できないよ」と言っていたので、そっち方面は期待してなかったが、良い意味で裏切られた。

 

 そんな妻に試練が訪れた。“野菜セット”である。今週、また野菜が届いたが、キャベツと小松菜、ズッキーニは二週連続である。正直、調理する側は大変だ。そういうとき、「毎週同じ野菜入れないで!」と宅配会社にクレームをいうか?

 

同じ野菜が入るのはやむを得ないと私は思う。それが畑の自然な姿だからだ。今や、スーパーでは、年中揃わない野菜はないが、これが不自然だ。同じ野菜が続けば調理法を工夫すればいい。1つの食材について多くの調理法を知ることは、その食材の良さ、味わいを引き出す方法を多く知ること、それが「豊か」ということだと私は思う。しかし、妻は大変だろう。今後は私も手伝おうと思っていた矢先、妻が風邪をひき、久しぶりに私は台所に立った。二週続いたキャベツを片付けるべく、回鍋肉(肉なし)、焼きそばと作った。

 

 ようは、畑に合わせるか?(自然に合わせるか?)献立に合わせるか?(人間に合わせるか?)の選択だと思う。そして、私たちは前者でありたいと思い、野菜セットを購入することにしたのだ。

ボランティアで出会った仲間

 

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(チームくまモンの面々。後列中央が武藤さん、前列左が長尾さん)

 前回の記事で茨城県つくば市にボランティア活動に参加し、素晴らしい人たちと出会ったことを書いた。今回はそのことを書く。ボランティアをする目的は、被災者や復興のお手伝いをさせていただくことが第一なのは当然だが、このような出会いも楽しい。

 

 チームリーダーを務めた武藤さんという男性は、か細い声で控え目、重労働に耐えられそうもない外見だ(失礼)。自らを「軟弱なボランティア」と称していたが、話すうちに、この方のすごさ、おもしろさが判明した。武藤さんは、元某大手新聞記者で、現在は起業をめざしているという。そして、4か国語を話す。震災後、ボランティアに目覚め、行動し始めるが行動の仕方が半端ではない。5月に史上最大といわれた竜巻災害(日本では震災の影響であまり放映されなかった)がアメリカで発生すると、ミズーリ州ジョプリン市へ向かい、13日間ボランティアをした。そのことでニュースの取材を受け、ほぼ全米で報じられた。興味のある人は見てほしい。作業が終わると、すぐ福島に除染ボランティアをしに向かった。とんでもない行動力である。

 

 もう1人は長尾さんという八王子市に住む女性で熊本出身、。私の妻やその弟と郷里が一緒ですぐに打ち解けた。この方も素晴らしい行動力の持ち主で、東北では数えきれないほどボランティアをしている。私たちが3月に行ったわかめの芯抜き作業も経験していて、その話題でも盛り上がった。

 

 繰り返すがこういう出会いは楽しい。大体、共通の思いを持っているので、関係も続くことが多い。さっそく、フェイスブックで友達になった。ボランティアを通じ、このようなつながりは増える。輝いている人はいくらでもいるのだと感じた。多くの人とつながりたいと思う。

つくば市で竜巻のボランティア

 5月6日に発生した竜巻災害のボランティアに茨城県つくば市へ行った。この災害では、ボランティアセンター(以下、VC)の立ち上げが早く、翌日には一般ボランティアを受け付けていた。

 

 今回、私もVCを通して活動した。チームが編成され、道路や歩道に竜巻で散らばった瓦礫を撤去する作業が割り当てられた。今回のチームは私と妻、妻の弟の健太、長野から来た武藤さん(男性、今回のリーダー)、八王子から来た長尾さん(女性)という男女混合5名の構成である。初対面だが、活動を通して仲良くなった。このことは別の機会に書く。

 

大きな瓦礫は既に撤去されていたので、残った小さな木片やガラス片を拾った。その作業は大変なものではなく、午後2時に完了した。竜巻の進路からは外れていたが、ガラスは辺りにが散乱していた。竜巻の力の大きさを感じるには充分である。快晴だったが、正午前、突然暗くなり、雷が鳴り、雨が降ってきた。VCスタッフの話では、5月6日はこの後、大粒のひょうが降ってきて、あの竜巻が突如発生したという。時折空を見上げながら作業を続けた。

 

終了後には、妻と弟、長尾さんと被害の大きかった北条地区を歩いた。その写真を掲載する。巨大な力でこんなのが来たらなすすべがないと思った。東日本震災お被災地と同じように言葉がない。一日も早い復興のため、微力ながらできるだけのことをしたいと思う。

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 町の中には壁新聞が貼り出され、竜巻に飲まれた方の体験談もあった。

「竜巻に飲み込まれ、身体が空中に浮き壁が床から離れているのが見えた。下を見ると、白くて丸い場所があり、私は落ちていった。時間にして3秒くらいの短い経験であった。まさにマトリックスの世界、あまりに短すぎて恐怖はなかった」

 

夕方には茨城南部で震度4の地震があった。久しぶりの大きな地震だった。自然の力を改めて認識したボランティア活動だった。

父から学んだこと

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(私が描いた父)

5月1日に逝った父・曉から学んだことはとても多い。その中で二つだけ、ここに記す。

 

父が産まれて(昭和20年2月)半年後には戦争が終わった。食糧や物資が不足している中で父は育った。5歳の時、父を病気で亡くし、家はとても貧しかったという。グローブを買ってもらえなかったこと、段ボールの机で兄弟身を寄せて勉強した話などをよく聞いた。姉は家計を支えるため、中学を卒業してすぐに働き、父もそれにならい、現在のアイシンに就職した。そして、働きながら、夜間、高校に通って卒業し、さらに国家公務員試験に合格した。その後は、名古屋税関一筋で定年まで勤務した。コツコツと地に足をつけて努力する姿をずっと見てきた。10年前に建てた家のローンも全て完済している。このような姿勢は私の理想像となっている。

 

 また、『日時計24  No23』に「私を信じてくれた両親の愛」と題して寄稿させていただいたが、タイトル通り、家族や子供を信じ続けた父だった。特に私は心配をかけた。ニートとなり、仕事をせず、思うようにいかない人生にイライラして家族に暴力をふるい、家を破壊した。普通は許容できることではない。その後も職場を何度も替わるなど、フラフラしていた私だが、父から「お前はだめなやつだ」と否定されたことは一度もない。叱責されたときも「お前は本当はできるんだから…」という気持ちを感じた。

 

谷口雅春先生は、ご著書『愛は刑よりも強し』で以下のように説かれている。

「愛は欠点を見てそれを矯正することではなく、そのいたい傷に触れることではなかったのである。愛はその人の傷をやさしく包んでその人の欠点の奥にある円満完全なる実相を、じっと愛の心で眺めやり、これが彼の実相であるとそれを心でいたわり育ててやることであったのである。」

 

人を愛するとは、信じることだ。言うは易く行なうは難しで、実践し続けたところに父のすごさがある。人の善性を信じ続けること、私もこれを終生のテーマにしたい。  

釋眞曉

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 浄土真宗では、仏弟子となった証として、「法名」が与えられる。法名(戒名とは言わない)は、仏の願いが書かれた経典の中から2文字を選んで名付けられる。頭には、お釈迦さまから「釈(釋)」の1字をいただく。例えば、親鸞聖人は自らを「釈(釋)親鸞」と名乗っている。

さて、父・曉の法名は「釋眞曉」である。経典の中に、名前と同じ「曉」という字があったのだ。家族も知らなかったし、そして父本人も知らなかったであろうが、この「曉」という言葉には、「(教)をわかりやすく、教えてさとす」、「教えを説く」という意味があるらしい。そして「眞」は、本当のこと、仏法、真理という意味だ。つまり、「真理をわかりやすく説く」のが釋眞曉だ。

これには私たち家族は喜んだ。私と同じ仕事ではないか!(笑)素晴らしい名前と使命をいただいた。これからは、いっそう顕幽相携えて、この光明化運動に尽力していきたいと思う。(写真は生前の父。かっこよく撮れた。)

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